補助線

ふれたものと考えたこと、それらのつながり

中動態、ナッジ、空気

今更ながら「中動態の世界」を読んだ。

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) - はてなキーワード

意志の不可能性を指摘するにとどまらず、その先、自由に行動するにはどうすればよいのか?まで深めているのがすごく面白い。

「わたし」のありようは自由と強制のはざまにあり割り切れるものではない。

ということを思弁的に厳密に導いていて、この立場に立たないと見えないものがたくさんあるなと思う。

 

たとえば投票。「PHY-OP」されたうえで「自らの意志」で投票している。

なんかもう当たり前みたいになってるけど、Facebookのデータと広告だけで人の行動を変えられるのすごくないか - 未翻訳ブックレビュー

しかも、そのオペレーションは、洗練された物語に頼らず、心の構造をブラックボックスにぶっこんで、とにかく行動にフォーカスし、徹底的に統計的な処理を施したうえで割り出されてきた即物的なものだ。イスラエルが憎い、にlikeしたやつはキットカットとナイキもlikeしている。広告を打とう。

 

ABテストと結果の統計処理によって割り出し、"ナッジ"により合理的な選択を、

というのは意志を素直に信じているとショッキングだし倫理にもとる、と思いがちなのだけれど、どうしたってこっちが真実味がある。

グーグルでは「Optimise your life」部門が社内の年金の選択や食事メニューの選択の最適化を推進している。われわれの自由意思に基づく選択は必ずしも合理的ではない。https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%EF%BC%81%E2%80%95%E5%90%9B%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%81%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8B-%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF/dp/4492533656

 

空気を読むというのも自発と強制のあわいにあるものだと思うと通りがよくなる。

空気の検閲 辻田真佐憲 | 光文社新書 | 光文社

この本でも最後に「システムによる検閲」に触れられていて、それが完ぺきな検閲をもたらす可能性で結ばれている。全然地続きな話だ。

 

しかし、それでも、意志と責任というフィクションは便利だし魅力的で都合がいい。

このあたりのどうしても「主体」を仮構してしまう自分、に自覚的であるにはどうしたらよいのかしら。と思うとそのバグを客観視するセーフティネットが笑いだったりするのかもしれないと思いますがそれはまた別の話。

ヒトはなぜ笑うのか|サポートページ